☆防災ボラが居ない。でも防災ボラが必要!


■9割りが「災害時支援ボランティア」

「東日本大震災」時に起動して頂けた活動団体の多くが、発災後の支援を行う団体や活動者でした。

 

我々ですら渦中となるタイミングによっては、活動備品も無いまま滞在するケース(※1)、着の身着のままで活動するケースも出てきます。

後半の「活動品を取りに行けない」にも附随して行きますが、個人・自治会・市町村・行政の「緊急時支援物資倉庫」などの準備の無さが、物資不足に追い討ちをかけている気がするのです。

 

確かに、津波で町ごと流され、何も残っていない自治会も出て来るでしょうし、中には隣町には避難出来ないと思い込んでいる方々も多く、ここにも自治区分での自主防災組織の壁が見えてきます。

 

実際、名古屋市近郊での豪雨時には、河川周辺の避難所は水害の恐れがあり、一枠も二枠も外の隣接区の避難所へ向かわせた事例もあります。このように一枠外に出るだけで、物流が生きていたり、明かりが灯っていたりする部分があるという事ですね。

 

これらを「想定」し、隣り合わせの自治体との「支援協定」は必須となるでしょう。また、親類が点在している方、近郊に居る方も「いつ自分が逃げる立場となるのか?」、逆に「受け入れる立場となるか?」を考えておく必要性も出てきます。

自身に被害が無く、家庭備蓄にも影響がなければ、親類を引き受けても良いし、その備蓄を送り込むも良いでしょう。

 

支援への体制をとる為には備品庫や、倉庫を守り、その利点を教えてあげられる「防災人」が先ず必要だということですネ。

 

そして側近の方々の行いこそが初動となり、以降にはタイトルを掲げる外核団体や、物資提供者、それらを運び込む輸送等の業界支援も必要となって行くのです。

 

今回、行政備蓄の配布を行った民間防災V【茨城事務局】でも、食すものは1日でおにぎりが1ヶのみ。この状態が数日続きました。

 

もちろん自宅の冷蔵庫の中身を食する事も可能ではあったかと思いますが、その場の方に別けてはあげられません。

しかし、その方は冷蔵庫を事前に守っていた事、また、数日間は保存が効く事を知っていた事で、「冷蔵庫」に目を向けられたのです。

 

このように、防災とは「知識なくして対策できず。減災努力なくして次に移れない」事を証明された部分でもあります。

「防ぐ=減災」=安心へつなげられる防災ボランティアが、今からも必要なのだと痛感しています。

語り続けるもよし、動くもよし。先ずは皆さんが「手本見本」となって、数少ない「防災(減災)活動家」となっていただければ幸いです。

 

※1

発災のタイミングによっては、活動備品の準備の無いまま滞在するケース

備えてもその場まで行き着かないケース(経験済)もある為、次項にて詳しく解説致します。