現在の閲覧者数:

防災とボランティア


《防災ボラとは》

皆さんを脅かす事象・事案・事件を題材に、「防ぐ=実行=守る」を日常的に行い、減災細工を施してもらえる方々を増やす、言わば「防災家・防災人」の活動を指します。

 

その為には、先ずは皆さんが「手本」となるよう施す事。そして、それらを次の担い手に伝えて行けば良いだけの事です。

 

それに加え、皆さんが被災すれば当然、その場で救援活動・被災地行動をしなければなりません。その場に多くの要救助者よりも、その場の防災人を増やしておく方が、皆さんの安心度も高くなるはずなのですが、残念ながら国内には「防災活動者」は少数しか存在しません。

大半が、発生後に出向く「災害時支援の活動者」となります。

 

ここが日本の防災界のネックで、日常的に動いている防災人が増えない限り、犠牲者数は減らない事は明白ですよね。


防災とボランティアの関係

本題に至るまでに解説しながら回り道してご案内いたします。

さて、皆さんには「ぼうさい」と聞いて、何を想像なさいますか?

では、「ぼうさいって何?」と聞いたら、何とお答えなさいますか??

もうひとつ、「防災活動」ってなに??

 

簡潔に説明しますと、自然災害が発生すれば、公的機関による救助や捜索といった専門部門が動きます。

それ以外にも、被害の無い方による「援助」、当事者同士での「助け合い(互助)」もあります。

この「援助」や「助け合い」は「無償の愛」ですよね。

ここの部分がすでに「ボランティア」というより、「ボランティア精神」ですね。

さて、出てきました「ボランティア」という言葉。

では、皆さんは「ボランティア」ってなに?と聞かれれば何とお答えなさいますか??

 

風水害で避難した先では、日本赤十字社さんが毛布などを提供しにきます。

これも無償の提供ですから、ボランティアということになりますね。

あれ?って感じませんか。

日赤といえば法人ですよね。

では組織はどうあれ、その時点で必要になる製品などを、無償で提供する行為が「ボランティア」となるのでしょうか??

この辺りは、「ボランティアの論議」で説明書きするとして、なぜ「防災とボランティア」なのか?です。

被害規模が大きいほど、公と民での活動者が数多く、しかも継続的に必要になります。ここはご理解いただけるでしょう。

 

さて、日本は災害大国です。

1995年に発生した「阪神淡路大震災」以降、今日までの災害を教訓に、「災害時の支援」には多く着眼されています。

現地では自らが被災しながらも、「被災地行動(当事者)」を行う人たちも居ますしね。

近年は災害発生後の「災害時支援活動」が報道で良く取り上げられ、認知度も高いと思います。それだけ表面化する活動が多い事も要因なのでしょう。

その反面、「防災」や「減災」といった「対策」は陰となり、なかなか表面には現れません。

では考えてみましょう。

アナタ自身が被災した時、対策をせずしてその場で動きがとれるのか?と。

 

それはケガなく生き残っている事で可能となるはずです。

つまり、あなたが健在だったからできること。となれば、「先ずは対策(減災)を施し、命落とさずして動きがとれる状態にしておく事」=犠牲者にならない事がスタート地点(ここが防災の基本)であり、結論だという事です。

 

ここが「防災」というところですね。

 

 

それと、「災害時」にこそ「犯罪の抑止」が必要になってきます。

常日頃からやってもいない「防犯監視活動」や「警戒活動」を、その時点から即席で行えますかね?!

そう考えれば、防災を消防、防犯を警察と区分してしまうと、大穴が空いてしまうということ!

 

つまりは「防災」には「防犯」も入っていないといけないのです。

ここがキーポイントかつ、ウィークポイントで、誰しもが勘違いするところなんです。

 

災害と犯罪の違いは後程説明しますが、犯罪にこそ「人」が絡んでいることで、「人の手」でしか防げないということを忘れてはいけません。

 

さあ、これらの「災いを防ぐ」ことを『防災』といいます。

 

ではなぜボランティアといわれるのか?なのですが、被害にあった方々が、当初から「助け合い」を行うからですね。

その後には、側近者や外郭の支援者が手を差し伸べてきます。

これらは対象者を決めてやってくるものではありません。しかも、善意で有料でもありません

当然、対象者を絞り込めないためでもありますが、総体的に支援が必要となる方々への手助けや、その後の生活支援、土地の復旧へは銭勘定だけでは事が停滞してしまいます。

この辺りにも「善意」での行為=「ボランティア精神」のある方々が「手助け」を買って出るところから、「防災」と「ボランティア」の関係が生まれてくるんですね。

 

さて、そういう要素で「先人を作り、次に伝授していく」のが、民間防災です。次にその方々が「教」「動」になっていけるようにシステム化しています。

「なるほど~」

ここまでの説明でうなずいた方、アナタには素質がありますよ。

 

ただし「ボランティア活動」にはデメリットもあります。

要望・希望がないのに炊き出しを続ければ、その街にある飲食店にお客さんが行かない。

支援品が多くなっても同様で、街で手に入るものは街で購入するなどとしていかないと、その街が繁栄しないのです。

公費で賄えるところならば、公費の内で動いてあげられるようにするとか、雇用特例があるのならば、住民さんに動いてもらえるようにするなどの采配が必要になってくるんです。


防災ボラなの?災害ボラなの?

正式な区分はなされていませんが、内閣府と民間防災では「防災ボラ」、総務省では「災害ボラ」を総称として使っています。

実情をみますと、災害発生後に支援として動く活動者の方が、日頃から「防災活動」を行っている活動者より数百倍多くなります。

それだけ発生後には多角面での支援が必要だという事なのでしょうが、しかし、日頃から事前対策となる予防や減災・抑止などを行っていませんと、それこそ犠牲者が増えてしまいますよね。

そこで、スタート地点を「防災」(=「事前対策」=「減災」)とされているのです。

また、これらの行いは活動グッズにも影響します。

何の準備もなく、手ぶらでは活動は出来ません。自身が必要とするからこそ、その場でも遠方支援でも、活動に使えるのです。

したがって「防災ボランティア」が総称で、「災害ボランティア」は言葉的イメージで、被災地活動者に対し使う俗称ともいえます。

しかも「災害ボランティア」では短縮されており、行為の意味合いからすれば、「災害時支援ボランティア」といった方が正確に伝わるでしょうね。

「災い」を軸とする活動

災害時の民間法人組織

災害時の支援の分類

活動者の発生分類

ボランティアって

ボランティアという言葉は「尊厳ある言葉」です。

やすやすと使うことはできませんし、その言葉にあぐらをかくこともできません。

勘違いいただきたくないので書き添えますが、「我々はボランティアだ~」と横柄な考えをお持ちになる方、そうやって現地入りなさる方は「すでにボランティアではありません」。

自由意思・意欲があって自然にかつ必然的に湧き出てくるものなんです。

その場の場面に応じてね。

 

【傘を持っていない方に傘を貸す行為】

【道端に落ちているゴミを拾う行為】

【運転中に先を譲る行為】

職務で行っていないこれらの行為がすでに「ボランティア」だということなんです。と民間防災ではお伝えしています。

こう書けばニュアンスはつかみ取ってくれるかとおもいますね。