☆「仕事」とボランティア、そこにはギャップがある事実


2012年4月29日放送のある番組で、「ボランティアに仕事」とコメントされていて、やはり違和感がわきました。

 

個人所有の家屋から、荷物を運び出すことには反対しませんし、重機の入らない部分のガレキ回収に手を貸すのも良いでしょう。特に、発災当時にも、物資輸送路上で且つ、罹災の範囲以外での倒壊物の除去は「被災地行動」として行っています。

 

しかし重機を用い、整地などを行う「公益性の高い」部分には、自治行政からの予算で賄えるようにするべきでしょう。

番組中には仕事へのお手伝いも依頼され、業務に従事されているシーンもありました。

 

業務にボランティアを充当するくらいなら、昨今の「臨時雇用促進」の条件のもと、求職中の地元人を採用する方が良いのでは?そう思うのです。

 

ボランティア活動と職務・業務の境界線も引き辛いことも事実なんですが、依頼側の「ボランティア」に対する観点がずれている気がしてなりません。

 

ボランティアを行う側は「仕事」と考えてしまうのは仕方ありません。

業界支援や企業派遣型の活動もありますからね。

 

しかし、それを「自分の職場の手が足りないから…」と頼まれてしまうと、従業員の代わりなの?タダ働きのアルバイト?と感じてしまうのです。

 

ボランティアに頼めばなんでもやってくれる!しかもタダで…!

 

そう考えられているのではないかと少々心配になってしまいます。

 

これを打開するには、ボランティアも職業区分として確保する方法でしょうか!?

 

すべて自腹では割に遭わないでしょうし、長く居られるわけがありません。

依頼者も最低限、宿泊と食事などを確保してあげられる様に、工夫することも必要なのだと思いますね。

 

現地では未だ、外(作業現場)に出れば、周囲(付近)にトイレもありません。逆に、誰も着手していないからトイレが無いのでしょう…。

 

そんな中、トイレを我慢するため、水分補給しないボランティアもいるのです。これって、発災当時の避難所と同じですよね。

 

私は、できるだけ被災地からの要望に添いたいと思っていますが、被災地や被災者の経済活性化を主体とするならば、労力は被災者、現地人を雇い入れるべきだと思います。

 

 

このD-Book内でも、「ボランティアはお店のスタッフではありません。」し、「時には要望に応えられない事もある。」とも書かせていただいています。

 

ボランティアはあくまでも主(ヌシ)や、従業員・被災者自身を支える者たちであり、いつ居なくなっても良い存在で、日替わりとなっても、交代に差し支えのない存在にしておかないと、それこそ専従する事になってしまいます。

専従するという事は、自分の生活をかけて活動するという事です。我々ボランティアには社会的保証はありませんから、どうあがいても専従にはなり得ないのですよ。

 

特にツアーボラは専従できないから、深く考えずに何でもやってしまうのでしょうね。

 

実際、現地に居られる日が決まってるがため、「この期間は無理をしてでも…」となることも理解できますよ。私もそのタイプでしたから。

 

それから、現地(被災地)に入り浸っていると、感覚が麻痺することもあります。

 

「どうにかしてこの依頼に応えなければ」となるのもわかるのです。

 

その為にも現地人を交えて組織し、「このことにボラを充当するべきか?」の話し合いに、調整役(コーディネータ)が必要なんですね。しかも外郭者ではなく、現地人のボランティアコーディネータが今、必要なのだと思います。

 

 

初めてこの場で毒を吐かせていただきました。

 

ご覧いただいた方で、感性に合わない方にはお詫び申し上げます。

 

また、当該番組を批判するものではありませんことを付け加えさせていただきます。

 

私自身、ボランティアという言葉には、もっと「重み」がないといけない!と思っておりますので、少々、感情的な文面となりましたこと、平にご容赦願います。